「これくらいなら」が積み重なると、お金の使い方が見えなくなる
大きな買い物をするときは、少し身構えます。
- 家電を買い替える
- 旅行を予約する
- 家具を新しくする
まとまった金額が動くときには、価格を比べたり、必要性を考えたりするものですが、コンビニで飲み物を買う、ネット通販で小物を一つ注文する、使っていないサブスクの料金をそのままにするといった支出には、そこまで慎重にならないことがあります。
「これくらいならいいか」。
その判断自体は、決して不自然ではありませんし、毎回の支出を細かく悩み続けていたら、日常生活が疲れてしまいます。
ただ、小さな支出が気になりにくいことと、小さな支出が家計に影響しないことは、同じではありません。
大きな買い物には覚えがあるのに、毎月何にお金を使ったのかは、意外と思い出せない。そんな感覚から、家計を見直すきっかけが見つかることがあります。
大きな出費は覚えていても、小さな出費は忘れやすい
例えば、数万円の家電を買った月なら、その支出は記憶に残ります。
「今月は大きな買い物をしたから、少し抑えよう」と考えることもあるでしょうし、金額が大きいぶん、使った実感も・・・。
ところが、数百円、数千円の支出は、ひとつだけなら大きな負担に感じにくいもので、仕事帰りに飲み物を買ったり、昼食に一品追加したり、ネット通販のおすすめ商品を注文したり、動画や音楽の定額サービスを契約したままにするなど、それぞれに理由はあります。
必要なものもあれば、楽しみのための支出もあり、すべてを無駄と考える必要はありません。
それでも、こうした支出が何度も繰り返されると、月全体でどれくらい使ったのかが分かりにくくなります。
大きな出費は「何に使ったか」がはっきりしているけど、小さな出費は「何となく使った」という感覚だけが残る。
この違いが、家計の見え方を変えます。
「まあいいか」は、支出を判断する言葉になっている
小さな買い物の前に、「本当に必要だろうか」と毎回考える人は多くないかもしれません。
数百円の商品なら、少し迷っても「まあいいか」で済ませられますし、予定より少し高いランチになっても「今日は仕方ない」と思えるでしょうし、送料がかかるから、ついでに別の商品を買うなど、ここでの「まあいいか」は、浪費を決める特別な言葉ではありません。
生活の中で、判断にかかる手間を減らす言葉でもあります。
何を買うか、何を我慢するか、毎回細かく考えるのは面倒で、だからこそ、少額の支出については、ある程度のところで判断を終わらせてしまいがち。
問題は、その判断が一度きりではないことで、同じような場面が、朝、昼、仕事帰り、休日、ネット通販の閲覧中に繰り返され、ひとつの支出では気にならなかった金額が、別の支出と重なっていきます。
しかも、小さな支出は「使った」という印象が弱いため、後から振り返ったときに、判断の一つひとつを思い出しにくく「特に大きなものは買っていないのに、なぜかお金が減っている」という感覚は、こうした見えにくさから生まれることがあります。
少額決済が増えると、使った実感も変わる
現金で支払っていた頃と比べると、現在はスマートフォンやカードで少額の買い物を済ませる場面が増えています。
もちろん、決済手段だけで支出が増えると決まるわけではありませんが、支払いの手間が小さくなったことで、買い物の判断も軽くなる場面は考えられます。
財布から現金を出す。小銭を確認する。残りの金額を見る。
そうした動作がないまま決済が終わると、買い物の区切りを感じにくいことがあります。
特に、スマートフォンの画面上で複数の支出が処理されると、それぞれの金額が生活の中でどれほど積み重なったのかを実感しにくいですから。
また、定額サービスのように、一度契約すると毎回の支払いを意識しなくても利用が続く仕組みもあり、契約したときには必要だったし、最初はよく使っていたけれど、今も同じように利用しているとは限らない。
それでも、月額料金が比較的小さいと、「このくらいなら」と見直しを後回しにしやすくなります。
小さな支出が見えにくいのは、金額が小さいからだけではなく、支払いの手間や、使った実感が変わっていることも関係しています。
「無駄をなくす」だけでは、生活が窮屈に
ここまで考えると、すべての小さな支出を削ればよいようにも見えますが、毎日のコーヒーや、仕事帰りのちょっとした買い物、趣味に使うお金まで、すべてを無駄として扱うと、生活は窮屈になります。
お金を使うことには、必要性だけでなく、楽しさや気分転換、時間を買う意味もありますし、例えば、忙しい日に少し高い食事を選ぶことが、単なる浪費とは限りません。
好きな飲み物を買うことも、生活の中で大切な楽しみになっているかもしれません。
だから、問題は「小さな支出があること」ではなく、「何に使っているのかを自分でも把握しないまま続いている支出があること」と考えたほうが、実際の生活に近いでしょう。
同じ500円でも、納得して使った500円と、存在を忘れていたサービスに払った500円では、意味が大きく違ってきます。
家計を見直すとき、金額の大きさだけで支出を並べると、見落とすものがありますし、反対に、すべてを細かく管理しようとすると、今度は管理そのものが負担になります。
その間にあるのが、「これは何のために続いている支出なのか」を確かめる視点。
お金が残るかどうかは、使った後にしか分からないこともある
大きな買い物を控えたからといって、必ずしも家計が整うとは限りませんし、大きな出費は慎重に選んでいても、日常の小さな支出が積み重なれば、思っていたほどお金が残らないことがあります。
反対に、毎日の小さな買い物があっても、全体の支出を把握し、納得できる範囲で使っているなら、必ずしも問題とはいえません。
「お金が貯まる人」と「貯まらない人」を分けるとき、つい大きな節約や特別な家計管理を想像しがちですが、実際に振り返るべきなのは、もっと地味なところなのかもしれません。
買い物のたびに「まあいいか」と判断したもの。契約したまま、存在を思い出さなくなったもの。少額だからと明細を見ずに済ませているもの。
それらを一つひとつ責める必要はありませんが、ただ、月末に残高を見て驚くとき、原因は必ずしも記憶に残る大きな買い物とは限らない。
「これくらいなら」と思った支出が、どこで、どのように積み重なっていたのか。
その流れが見えると、お金の使い方は、我慢するかしないかだけでは捉えられなくなります。
0コメント